平安~江戸
年代(西暦) | 事項 |
弘仁2年(811) | 新山堂(いまの出羽神社)が創建されたと言われているが、神社由緒には 「創立年月日不詳ナレトモ元和9年5月中是川右京進再建・・・」とあり、創立年月日を元和9年5月としている。 |
元慶2年(878) | 鹿角の名が「上津野」として、初めて史書(三代實録)に登場する。 |
建久2年(1191) | 南部藩祖光行、糠部に入国(12月28日説)。 同じ頃、鹿角の四天士と呼ばれる成田・安保(阿保)・奈良・秋元の四氏鹿角郡に赴任。南北朝の争乱を境に、南部氏の支配下に入る。 これとは別に、野尻(野沢)・草木・牛馬長根の三郷士がいた。 長者久保・牛馬長根方面に、三郷士の一人「牛馬長根越後」の支配地があったという。四天士のもとに、郷土にあったといわれる「館」は、次の七館。 大地・小坂・荒川・濁川・砂子沢・高清水・芦名沢 |
永禄10年(1567) | 摺臼野神社(いまの川上神社)建立。 |
永禄年中 (1558~1569) |
鴇(勝善平)に駒形神社建立。 |
天正17年(1589) | 大浦(津軽)為信独立。津軽藩祖となる。郷土は、津軽・秋田両藩との藩境に位置することになった。 |
天正19年(1591) | 九戸政実の乱。敗れた落人が郷土にも多数潜伏したといわれる。 |
慶長3年(1598) | 万谷に駒形神社建立。 |
慶長15年(1610) | 鏡得寺建立。 |
元和9年(1623) | 新山堂(いまの出羽神社)建立。 |
寛永3年(1626) | 大地に薬師神社建立。 高清水に八幡神社建立。 |
寛永5年(1628) | 野口に大雷神社建立。 長沢に山神社建立。 |
寛永16年(1639) | 大地で、南部・秋田藩士によって「キリシタン山狩り事件」が起きる。 |
寛永17年(1640) | 荒川に諏訪神社建立。 |
慶安2年(1649) | 鳥越に駒形神社建立。 |
慶安3年(1650) | 万養寺建立。 |
万治年中 (1658~1660) |
万谷に愛宕・八幡の両神社建立。 |
万治3年(1660) | 大地に大原神社建立。 |
寛文年中 (1661~1672) |
荒川に白山神社建立。 大生手に八幡神社建立。 |
寛文2年(1662) | 熊坂に稲荷神社建立。 荒川に熊野・稲荷の両神社建立。 |
寛文5年(1665) | 万谷の与右衛門によって鉛山鉱山発見。 |
寛文6年(1666) | 十和田鉱山(俗にいう銀山)発見。 |
延宝5年(1677) | 南部・秋田境界紛争が幕府の裁定によって解決。 (郷土の関係する袈裟掛付近は、「弥左エ門畑」の存在によって有利となる。) |
延宝6年(1678) | 鴇鉱山発見。 |
天和年中 (1681~1683) |
上小坂に稲荷神社建立。 横道(古苦竹)に駒形神社建立。 |
貞享年中 (1684~1687) |
岩沢に八幡神社建立。 上小坂に伊勢神社建立。 |
元禄3年(1690) | 牛島長根に稲荷神社建立。 |
元禄8年(1695) | 大飢饉(南部藩四大飢饉の一)。 |
宝永2年(1705) | 長土路に稲荷神社建立。 |
正徳3年(1713) | 藤原に七滝神社建立。 |
享保18年(1733) | 雨池に雷神社建立。 |
享保20年(1735) | 南部領内三三代官区となり、郷土は「毛馬内通」に属す。 |
宝暦5年(1755) | 大飢饉(南部藩四大飢饉の一)。 |
安永9年(1780) | 判明する最古の民戸数。小坂地区277、七滝地区375 |
天明3年(1783) | 大飢饉(南部藩四大飢饉の一)。 この年の飢饉は特にひどく、南部領内の餓死者4万850人、疫死2万3848人である。 |
寛政2年(1790) | 高山彦九郎、来満峠を越えて鹿角へ入る(北行日記)。 |
寛政9年(1797) | 毛馬内通に知行所重税反対の一揆起こる。 |
文化4年(1807) | 菅江真澄、郷土を旅す(十曲湖)。 |
文政4年(1821) | 下斗米秀之進(相馬大作)津軽藩主襲撃。小坂村肝入小笠原半右衛門家に逗留して間道調査や、計画を練ったという。 |
文政12年(1829) | 小坂村農民熊谷多左衛門小坂鉱山を発見するも、鉛山と誤認され、杉原鉛山と称したが長続きせず。 |
天保年中 (1830~1843) |
大稲坪に稲荷神社建立。 細越に山神社建立。 |
天保9年(1838) | 大飢饉(南部藩四大飢饉の一)。 |
嘉永2年(1849) | 松浦武四郎郷土を旅す(鹿角日誌)。 |
文久元年(1861) | 小坂村農民小林興作、小坂鉱山(8月15日)・相内鉱山発見。上小坂の小笠原甚左衛門らの協力を得て稼行する。 |
慶応元年(1865) | 小坂鉱山を南部藩営とする。 |
慶応2年(1866) | 大島高任小坂鉱山に赴任。開発に当たる(4月9日到着)。 |
慶応2~4年 (1866~1868) |
小坂鉱山山神社建立。 |
慶応4年(1868) | 戍辰の役。南部勢秋田領へ侵入(8月9日)。小坂鉱山の開発は中断し、荒廃に帰す。 郷土も、新沢口と濁川口に兵力の配備があり、戦争を経験する。 |
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更新日:2019年04月01日