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Vol.22 オムニバス(乗合馬車)


クルト・ネットーが小坂鉱山にやって来た頃の街道はまだ道幅も狭く、交通機関といえば駕篭のほかは馬があるばかりでした。
しかし、田舎にも次第に人力車が普及してきました。 明治5年(1872)頃には、東京市内にあった駕篭はほとんど姿を消し、人力車が日本の代表的な公共輸送機関になっていたといわれています。
明治8年(1875)頃、日本で最初の交通機関として乗合馬車が登場します。ネットーが上京した明治10年以降の東京でも、車輪では通行できない道路が残っていて駕篭の方がまだ便利でしたが、乗合馬車は安い乗り物として重宝がられていました。
ネットーは、著書の中で「ものすごい震動、狭い窮屈な座席から投げ出される危険を我慢してでも、早く安い料金で行きたい人には近代的な乗合馬車があります。このような乗り物が町や田舎に普及してきているのは、年取った馬子たちのために残念な気もします」と述べ、日本が急速に近代化していくことを残念に感じていました。

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