第四代横綱 谷風梶之助(たにかぜ かじのすけ) 生誕の地 小坂町役場

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谷風の里

第四代横綱 谷風梶之助  1750年9月8日(寛延3年8月8日) - 1795年2月27日(寛政7年1月9日)

 二代目谷風は小坂町の余路米出身という説がある。彼の幼名は与四郞と言った。明和頃か(1764~1771)与四郞の家はたいそう貧乏に陥ったので四散し、夫孫十郎をのこして妻は与四郞(12歳)とその弟(6歳)を連れて放浪の旅に出たのであった。放浪する事数年にして仙台方面に至りある農家の後妻に入った。仙台に行ってから彼の体格はものすごく大きくなり、力士を志して江戸に行き、天下の力士関の戸住右衛門の弟子に入った。時に19歳であった。
 江戸時代は相撲は唯一の娯楽で天下の諸大名は争って力士を抱えていた。
 与四郞は天性のたくましい男として相撲を喜んで稽古し、その技は日増しに上達した。
 やがて、与四郞の名を秀の山と改め、各地を巡って相撲をとること、7.8年、二百数十回に及んだが、この間敗れること十数回でことごとく勝利を得たと伝えられている。27歳で二代目谷風梶之助と名乗り、体格は全盛時代で189センチ169キロいう稀に見る力士となった。
 いつ頃か彼は地方巡業のおり、毛馬内で相撲を興行した時のことである。この川の上に俺の親父が居るはずだと言うので呼び寄せようとして使いをやったが、余路米にいる父は貧乏のどん底にあったので到底毛馬内に出ることはできなかった。それを聞いた谷風は金五十両づつを二つに包み一つを父に、一つを毛馬内の父の兄に渡して父のことを頼んでこの地を去って行ったとのことである。
 谷風は力量だけでなく、人間的にも立派で品格抜群でった。そのため、谷風は歴代横綱の第一人者と称され、実質的な初代横綱として模範とされる大横綱である。天下無双の大横綱にふさわしい実績から、四股名「谷風」は止め名になっている。
    この地余路米には梶之助の大力であったことを物語るに足りる話はいくつも伝わっているが、公式には仙台藩・陸奥国宮城郡霞目村(現・宮城県仙台市若林区霞目)出身で本名は金子 与四郎(かねこ よしろう)となっている。
 また、余路米地区内には谷風の偉業を讃えた説明板と土俵が整備されている。
                                             参考資料:小坂町史 

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