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大正期

小坂町の郷土史(大正2年~大正14年)

年代(西暦) 事                           項
大正2年(1913)

神社統一の小坂の川上地区は出羽神社に合併許可(7/16)。
社殿完成(10/3)。
鴇鉱山部郵便受取所廃止(11/30)。
皇太子殿下(大正天皇)記念碑除幕式(12/~、元工作課南側)。
十和田湖に秋田県の気象観測所設置。
十和田湖家庭教授場設置(11/3)。

大正3年(1914)

小坂元山工業補修学校創立(3/~)。
小坂商工補修学校創立(3/~)。
十和田湖畔道県道認定(3/~)。
小坂に町制施行(5/15、初代町長小笠原勇太郎)。
十和田道路竣工。馬車発荷峠に通ずる。
十和田湖に、初めて汽動遊覧船南祖丸進水する(10/11)。
小坂町信購販組合設立。
鹿角電灯会社の手により、鉱山以外の一般住宅に伝統が点る(小坂1,800戸)。
第一次世界大戦(ドイツに宣戦布告)(8/23)。 

大正4年(1915)

小坂鉱山の鉱毒除害について内務大臣あてに、秋田県会の意見書が提出された(12/16)。
十和田湖、日本新三景および十勝景に入選。
小坂実科高等女学校(現小坂高校の前身)創立(3/9)。

大正5年(1916)

初めて一般電話の加入電話設置(30台)(1/21)。
十和田湖避暑三景第一位当選。

大正6年(1917)

秋田鉄道の計画として、錦木から小坂までの鉄道敷設計画があった。(地主その他の反対で実現せず)。

大正7年(1918)

小坂鉱山奨学会が廃され、青年鉱員養成のため「鉱業員養成所」ができた(4/~)。
七滝地区の煙害被害民四五名は、大湯の諏訪富太のあっせんで大清水開墾地へ入山(7/5)。
米価高騰。天皇陛下からお手もと金贈られる(小坂地区485円・七滝地区350円)
相内沢石灰山の石灰を小坂鉱山では使わなくなった(12/~)。
ドイツ降伏。第一次世界大戦休戦条約(11/11)。

大正8年(1919)

大戦後の不況から小坂鉱山999名解雇。
小坂鉱山にストライキ(第1回)起こる(8/19~27、参加者2,455名)
小坂鉱山協同交誠会結成(10/5)。

大正9年(1920)

露天掘作業縮小等による余剰鉱夫596名解雇、同時に採鉱部門の飯場制度廃止(3/~)。
露天掘作業終了(6/~)。
鉱夫379名解雇(10/29)。
小坂鉱山購買組合設立(8/1)。
第1回国勢調査(小坂14,681名・七滝2,416名)。
小坂振武会設立。
秋田鉄道大館~毛馬内間(現花輪線)開通(7/~)。

大正10年(1921)

淳宮(秩父)・高松両殿下小坂鉱山へお出でになる(8/4)。
鴇選鉱場消失、そのまま廃山となる(10/10)。
十和田湖郵便局通年開局(5/21)。

大正11年(1922)

十和田湖漁業開拓者和井内貞行死去、特旨をもって正七位追贈(5/16)。
東京高師教授佐藤伝蔵によって「小坂噴泉塔」世に紹介される(地元では明治14年に発見していたものという)。
奥羽線に初めて急行列車運転(3/15)。

大正12年(1923)

小坂鉱山にストライキ(7/16~22、参加者一九四四名)。
福田豊太の新劇活動、乾いた人心をうるおす(初夏)。
東京市を中心に関東大震災(9/1)。

大正13年(1924)

細越部落老若男女100余名、三旒の筵旗を立てて小坂鉱山に煙害賠償交渉。しかし、妥結にいたらず(11/7)。
細越・砂子沢・野口の三部落に「日本農民組合小坂支部」結成(11/26~27頃か、12月初旬)。

大正14年(1925)

煙害賠償団の代表者、大阪本社で直接交渉。その調査によって賠償額を決め妥協(3/~)。
物価の値上がりから、賠償起訴をめぐって、ふたたび煙害賠償問題起こる(12/~)。 


 

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