色合い 色合い:標準 色合い:黒 色合い:黄 色合い:青
日本語 英語 組織から探す

文字のサイズ 文字のサイズ:小 文字のサイズ:中 文字のサイズ:大 文字のサイズ:特大

明治期

小坂町の郷土史(明治元年~明治44年)

年代(西暦) 事                           項
明治元年(1868)

「明治」と改元(9/8)
「袈裟掛」で停戦予備会談(9/22)。
津軽勢により濁川部落の焼き打ち事件起こる(9/25)。
鹿角郡「松代藩」の取り締まりに属す(12/~)

明治2年(1869)

次のような鹿角郡の動きの中で、郷土の所属も変転する。
  鹿角郡九戸県に所属(8/19)
    〃  八戸県に所属(9/13)
    〃  三戸県に所属(9/19)
    〃  江刺県に所属(11/29)
十和田湖開発の先駆者栗山新兵衛は、神田川左岸に家を建て、開発に当たる(76歳まで30年間)。

明治3年(1870)

小坂鉱山の官営再開により、大島高任鉱山権正赴任(2/15)精錬所の再開を図る。
小坂鉱山事件起こる(1月頃、高任と、岩手県大参事・白石按察府とのあつれき)。
平民に苗字を許し、帯刀禁止。

明治4年(1871)

大島高任、岩倉具視の随員となり、ドイツの鉱山を視察、新製錬法を知る。
鹿角郡は、廃藩置県により秋田県に所属(11/2)。

明治5年(1872)

郷土は、7大区1小区に属す。(20大区104小区制 2/~)
人口調査と、戸籍を編成する(壬申戸籍)。

明治6年(1873)

大島高任視察から帰国、間もなく小坂を去る。入れ代わりにドイツ人技師クルト・ネットー赴任、新製錬への転換へ着手。
郷土は、2大区7小区に属す。(7大区45小区制 3/27)
徴兵令施行(1/~)。
地租改正条例公布(7/28)。

明治7年(1874)

小坂小学校設置(7/12)。
区長、戸長の身分が官吏待遇となり、政府の配属となる(3/~)。

明治8年(1875)

平民かならず苗字を称すべく布告(2/12)。郷土でもさらに推進する。

明治9年(1876)

町村合併あり。
 ○小坂・濁川・野口三村を合併して小坂村となり(11/28)、小坂鉱山の一村・一山となる。
 ○七滝地区は、次の四村となる。
   芦名沢・高清水・長者久保が合併して山根村(九月中)
   鴇・鳥越・長沢・牛馬長根が合併して上向村(11/28)
   万谷・荒川が合併して荒谷村(11/28)
 ○大地村
地租改正実施。(郷土の田・畑・宅地の合計は、1,396町余となる)

明治10年(1877)

南部家が政府から借用して小坂鉱山を経営する(7/~)
七滝村鳥越と小坂村に巡査駐在所設置。

明治11年(1878)

郷土の村名に鹿角郡の名を冠す。(郡区町村編成法 7/22)

明治12年(1879)

小坂小学校濁川分校(川上小学校の前身)設置(12/12)。

明治13年(1880)

南部家小坂鉱山を返上、第二次官営となる(6/1)。

明治14年(1881)

大島高任によって、小坂鉱山オーガスチン収銀法を採用。

明治15年(1882)

戸長撰法が布達(12/26)。

明治16年(1883)

毛馬内小学校鳥越分校(小坂小学校上向分校の前身)設置(6/~)。

明治17年(1884)

中小坂に郵便局設置(局長・小笠原半次郎) (7/3)。
藤田組へ小坂鉱山・十輪田鉱山払い下げ(9/18)。

明治18年(1885)

小坂鉱山、藤田組の経営で操業開始。

明治19年(1886)

仙石亮、小坂鉱山技長(翌年初代所長)。

明治20年(1887)

工藤作兵衛(中小坂)フランス軍乗馬アルゼリー種(種牡馬)の払い下げを受け、県内の他の七頭の成績不良の中にあって成績優秀。

明治21年(1888)

町村合併あり。
  ○小坂村は小坂鉱山を合併して小坂村(町村制施行後初代村長小笠原忠太郎)。
  ○山根・上向・荒谷・大地の四村を合併して七滝村(初代村長高橋定志)。

明治22年(1889)

「小坂鉱山市」がこの頃できた。当時は花輪・毛馬内・小坂の三市場で、小坂の市日は毎月五日(一日間だけ)。
小笠原文吉を記念する「小文文庫」が、本田伊三次・工藤英太郎らによって設立。
七滝小学校分教室(七滝小学校の前身)設置 (4/~)
濁川街道県境まで馬車道開通。(21~22年の工事)
町村制施行(4/1)。

明治23年(1890)

「小坂鉱山郵便局」が銀山町に設置(局長・小泉七六)された(4/1)。
鹿角郡一般について、岩手県転属希望の有無の秘密調査が、警察の手で行われた(6/~)。

明治24年(1891)

尾樽部に小坂小学校新校舎完成(7/12)。

明治25年(1892)

相内石灰山採掘。

明治26年(1893)

秋田・青森両県知事より和井内貞行に対し魚族養殖のため満八ヶ年十和田湖使用許可(10/14)。
十輪田鉱山休山。
小孫鉱山消防隊発足(年月日不詳)。

明治27年(1894)

清国に対し宣戦布告(8/1)。

明治28年(1895)

清国と下関講和条約調印(4/17)。

明治29年(1896)

小坂鉱山の用水工事(砂子沢川~元山間)完成(3/~)
六郷地震(マグニチュード7.5)。

明治30年(1897)

銚子第一発電所の送電により、鉱山に電灯がつく(夏)。

明治31年(1898)

久原房之助の寄贈により、小笠原勇太郎が発起人となり、小坂小学校内に「小坂文庫」創設(3/~)。
秋田十七連隊仙台から秋田へ移転(9/20)。

明治32年(1899)

奥羽本線青森~大館間開通(11/15)。

明治33年(1900)

黒鉱自溶製錬試験に成功し、新製錬所の大工事が行われる。

明治34年(1901)

七滝地区に煙害問題が起こる。
八戸近海に地震(マグニチュード7.7)。

明治35年(1902)

小坂鉱山黒鉱自溶製錬本格操業(6/~)。
小坂白沢間に索道(八・七哩)を架設(6/~)。
小坂鉱山は、足尾・別子とともに日本三大銅山と称される。
小坂村役場新築。
青森第五連隊兵士209名、八甲田山で凍死(1/24)。
弘前第三一連隊徳島小隊は、白地山~元山峠~銀山(1/22 招仙閣等に宿泊)~生出~休平を経て雪中行軍成功。

明治36年(1903)

「小文文庫」と「小坂文庫」が合併(5/~)。
花輪警察署小坂巡査部長派出所設置(10/1)。
小坂鉱山奨学会創立。

明治37年(1904)

鴇鉱山部郵便受取所設置(12/21)。
小坂鉱山坑外全般に電車開通。
ロシア国に宣戦布告(2/10)。

明治38年(1905)

小坂鉱山上水道完成(10/~)
和井内貞行カパチエッポ鱒の養殖に成功(10/~)。
鏡得寺寺の沢出張所(曹源院の前身)建立。
ロシア国とのポーツマス講和条約調印(9/5)
奥羽本線全線開通(9/14)。

明治39年(1906)

「小坂鉱山郵便局」が「小坂郵便局」と名称変更。以後名称に変更はない。
小坂元山小学校設置(6/1)。
和井内貞行「生出」に、日露戦争戦捷記念として”ふ化場”を新築。
「小坂文庫」小坂村教育会の事業に移管。

明治40年(1907)

堀切沢用水堤欠壊。流失家屋160戸、死者50余名、罹災者1,000余名、火災併発の大災害となる(9/17)。
秋田銀行小坂出張所(現支店の前身)開設 (11/4)。
この年度における小坂鉱山の生産額は日本一(秋田県の歳入決算額の八倍強)を記録。

明治41年(1908)

小坂元山郵便局設置(2/11)。
小坂鉱山病院、秋田県一の総合病院として開設(7/1)。
皇太子殿下(大正天皇)小坂鉱山へお出でになる(9/22)。
露天掘による採鉱開始(10/~)。
元山尚武会設立。
この年、小坂鉱山の煙害はなはだしく、被害民が騒じようす。

明治42年(1909)

小坂鉄道株式会社設立。一般旅行客貨物の運輸営業開始(5/7)。
東京大新聞・雑誌記者一行秋田県内視察。十和田湖・小坂鉱山が紙面に紹介れる(7/22~31)
小坂村消防組発足。

明治43年(1910)

花輪警察署小坂分署設置(4/1)。
康楽館が完成し、その「こけら落とし」に尾上松鶴一座来演(8/16)。
神社統一が実施され、小坂の川上地区は川上神社に統一(12/10)、七滝地区は高清水の八幡神社を「七滝神社」として統一(7/13)。

明治44年(1911)

古遠部鉱山発見。
濁川農業補修学校創立(7/~)。


 

ページトップへ

このページに関する情報
このページに関するお問合せ
小坂町役場
〒017-0292
秋田県鹿角郡小坂町小坂字上谷地41-1
電話:0186-29-3901
FAX:0186-29-5481