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小坂鉱山の歴史ひとくちメモ
ひとくちメモ-その1 「水と電気はタダ」
 「水と電気はタダ」で、住居・配給・医療・衛生・体育・娯楽・文化・宗教の各施設のほか、郵便局・銀行・警察に至るまで企業が招請、設置した。山間のへき地の中に、こつ然と「都市」が現出していた。明治から鉱山関連施設が現存し、現役で生産活動が存続しているここと自体、大きな遺産である。
 現在は、南米や北米、カナダ、スペイン等からの輸入鉱を主体に、製錬事業を展開。銀ビスマスの生産量は国内トップレベル。
 
ひとくちメモ-その2 秋田県第2の都市
 大正3年5月15日、小坂村に町制が施行された。公簿でみる小坂町の公式人口の最高は、大正6年の21,696人である。小坂町には古くからの言い伝えとして、「昔の小坂町の人口は30,000人、秋田市に次ぐ県内第2の都市であった」というものがある。
 明治43年、44年の「小坂村事務報告」を見ると、「無届ケ住民ハ少ナクトモ5千ヲ下ラザルベシ」とあり、つかまえ切れない人口の状況を嘆いている。
 逆にいえば、現住人口は2万5千から6千人はいたということであり、これに飯場など浮動する人口を考え合わせると、30,000人いたというのも夢物語ではないようである。当時の花輪町の人口が約8,000人、秋田市が35,000人だったことからも小坂町の繁栄がうかがえる。
 
ひとくちメモ-その3 露天掘跡
 明治41年(1908)~大正9年(1920)に行われた歴史的掘削(国内初)。
 大正3,4年ごろは、その階段は15段余りもあり、約3,000人が働いていた。採掘跡は、東西300m、南北750m、深さ150mで、日々の作業量は、当時世界の大事業であったパナマ運河に匹敵するといわれた。
 
ひとくちメモ-その4 電錬場
 明治42年(1909)に竣成。レンガ造の平屋建。幅約50m、奥行き160m。
 最初の電錬場は明治35年(1902)に竣工。明治41年(1908)に火災で全焼し、ただちに復旧。床下2mの地中には縦横に走るレンガ製、アーチ型暗渠(高さ約1m)が設置され、硫酸液漏れの対策を明治時代に既に取られていた。
 電錬とは、製錬された粗銅(銅の含有率98.5%)を硫酸液につけ、電極分解によって純銅(含有率99.99%)を種板に移転させる工程。現在の小坂製錬(株)の主要業務。
 
ひとくちメモ-その5 山神社
 鉱夫たちが篤い信仰をあつめた山神社は、明治39年(1906)に鉱山のほぼ中央の丘の頂に建てられた。本殿は一間社流造で、方三間向拝付の拝殿がその前に建っている。本殿は、鉱山のどこからでも視野におさまるように配慮されている。
 
ひとくちメモ-その6 小坂鉄道
 小坂鉱山の激増する需要に対処するため、藤田組が敷設。明治41年(1908)大館~小坂間22.33kmを完工。翌明治42年(1909)一般旅客貨物運輸営業を開始した。現在も、貨物専用鉄道として小坂製錬(株)が経営。最重要貨物は、製錬の副産物でもある硫酸。第三セクター線を除いた秋田県内唯一の私鉄。
 旅客営業は、渓谷を縫って景観もよく”マッチ箱”の愛称で親しまれ、1日7往復、所要時間約36分で運行されていた。しかし、需要減少により平成6年(1994)9月末で、惜しまれながらも85年の歴史を閉じた。
 小坂鉄道の開業は、JR花輪線よりも早く全国39番目。東北最初の私鉄である。かつて東北六県中では、北海道と連絡する青森駅に次ぐ貨物運搬量だった。往時は小坂線で、客車の5両編成や貨物の4重連が見られた。
 現在も貨物は3重連で、1日2往復運転。貨物の3重連運転は、国内唯一ともいわれている。
昭和42年度(1967)は乗車人員210万人(うち小坂線92万人)貨物量108万t、昭和3年(1928)に一部区間を電化し、電車とSLが混在して活躍。
 昭和37年(1962)狭軌から広軌に拡幅し、国鉄(現・JR)との貨物乗り入れを実現。車輌はディーゼルカーに代わった。昭和37年導入の現存客車は国鉄客車と異なる特注車両で、当時としてはデラックスな車両だった。
 
ひとくちメモ-その7 小坂鉱山のその後
 1950年当時、同和鉱業小坂鉱業所は地元の高校を出た若者に一番人気のある就職先だった。給料も役所勤めより2~3割高かったが、景気はどん底にあった。栃木・足尾、愛媛・別子と並び、日本三大銅山とうたわれた小坂鉱山は、軍需による乱掘で資源が枯渇し、会社は外部から鉱石を買うなどして苦境をしのいでいた。
 幸い、1959年に大鉱床「内の岱」が町内で見つかり、62年には採掘も始まった。他にも鉱床が発見され、会社は辛うじて危機を脱し、鉱石も自前で賄えるようになった。
 周辺で産出する鉱石を「黒鉱」という。銅や亜鉛などのほか、金銀を含む複雑鉱で処理が難しく、製錬には技術が要る。小坂は明治以来の研究開発で技術を培ってきた。
 そうした間にも、景気は厳しさを増していった。当時1,400人いた従業員は、62、72、82年・・・と繰り返された合理化で減少、220人余りになった。
 円高で進むなか、1989年に小坂製錬株式会社が発足した。輸入鉱石に負け、資源を残しつつ鉱山の歴史に終止符を打った小坂は、これを境に方向を変える。
 今、輸入鉱石は、青森からトラックで輸送し、副産物の硫酸は鉄道で大館市を経て秋田市まで運んでいる。内陸だけに輸送コストはかかるが、それでも競争に負けないのは、長年の技術の蓄積があるからだ。
 それに、現代の「黒鉱」は山にばかりあるわけではない。廃棄された携帯電話、自動車の触媒などからは金、パラジウム、プラチナといった希少金属が回収できる。例えば電池を外した携帯電話からは、1トン当たり200グラムと、高品位の金鉱石よりはるかに多くの金が取れる。
 小坂製錬は、輸入鉱石から他の製錬所の2倍の金、10倍の銀を採る技術があり、リサイクル処理能力も優れている。小坂は残った。立地は不利だが、技術を培い事業展開していく力がある。
 
小坂鉱山の歴史(発見~最盛期~閉山)
 
文久元年
(1861)
小坂村農民小林興作、小坂鉱山(8/15)・相内鉱山発見。上小坂の小笠原甚左衛門らの協力を得て稼行する。
慶応2年
(1866)
大島高任が小坂鉱山を調査(4/9到着)。 南部藩に「希有の良山」と報告。
慶応3年
(1867)
慶応3年(1867) 南部藩が大島高任に小坂鉱山の開発を命じる(1月17日)。
藩営小坂鉱山に大島高任赴任、本格的な開発計画を立てる。
慶応4年
(1868)
戍辰の役。南部勢秋田領へ侵入(8月9日)。小坂鉱山の開発は中断し、荒廃に帰す。
明治元年
(1868)
「明治」と改元(9月8日)
明治3年
(1870)
小坂鉱山の官営再開により、大島高任鉱山権正赴任(2/15)精錬所の再開を図る。
明治4年
(1871)
大島高任、岩倉具視の随員となり、ドイツの鉱山を視察、新製錬法を知る。
明治6年
(1873)
大島高任視察から帰国、間もなく小坂を去る。入れ代わりにドイツ人技師クルト・ネットー赴任、新製錬への転換へ着手。
明治10年
(1877)
南部家が政府から借用して小坂鉱山を経営する(7月~)。
明治13年
(1880)
南部家小坂鉱山を返上、第二次官営となる(6月1日)。
明治14年
(1881)
大島高任によって、小坂鉱山オーガスチン収銀法を採用。
明治17年
(1884)
藤田組へ小坂鉱山・十輪田鉱山払い下げ(9月18日)。
明治18年
(1885)
小坂鉱山、藤田組の経営で操業開始。
明治19年
(1886)
仙石亮、小坂鉱山技長(翌年初代所長)。
明治25年
(1892)
相内石灰山採掘。
明治26年
(1893)
十輪田鉱山休山。
明治29年
(1896)
小坂鉱山の用水工事(砂子沢川~元山間)完成(3月~)。
明治30年
(1897)
銚子第一発電所の送電により、鉱山に電灯がつく(夏)。
明治33年
(1900)
黒鉱自溶製錬試験に成功し、新製錬所の大工事が行われる。
明治34年
(1901)
七滝地区に煙害問題が起こる。
明治35年
(1902)
小坂鉱山黒鉱自溶製錬本格操業(6月~)。
小坂鉱山は、足尾・別子とともに日本三大銅山と称される。
明治37年
(1904)
小坂鉱山坑外全般に電車開通。
明治38年
(1905)
小坂鉱山上水道完成(10月~)。
小坂鉱山事務所竣工。
明治40年
(1907)
この年度における小坂鉱山の生産額(8,871,505円)は日本一(当時の秋田県「歳入決算額」1,079,000円の八倍強)を記録。
明治41年
(1908)
小坂鉱山病院、秋田県一の総合病院として開設。
明治43年
(1910)
小坂鉱山従業員の厚生施設として康楽館が誕生。
昭和20年
(1945)
社名「同和鉱業株式会社」とし、再出発。
昭和34年
(1959)
内の岱大鉱床発見。黒鉱ブーム再燃。
昭和60年
(1984)
相内鉱山閉山。(3月)
昭和60年
(1984)
鉛山鉱山閉山。(9月)
昭和61年
(1985)
古遠部鉱山閉山。(3月)
平成元年
(1989)
良質鉱減少、円高不況により小坂製錬株式会社として分離独立。
平成2年
(1990)
鉱山枯渇により内の岱閉鉱。(採掘終了)
平成6年
(1994)
温川鉱山閉山。これにより町内にあった全ての鉱山が閉山。(3月)

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